大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和42年(ワ)11430号 判決

栃木県佐野市米山南町五八番地

原告 黒崎亨

右訴訟代理人弁護士 安藤嘉範

同 広江武彦

長崎県壱岐郡芦辺町国分本村触八六八番地

原告(選定当事者) 宮崎忠太郎

右原告両名訴訟代理人弁護士 阿比留進

東京都新宿区本塩町八番地の二

被告 海外移住事業団

右代表者理事長 広岡謙二

右指定代理人 田代暉

同 石川博一

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告ら)

被告は、原告黒崎亨に対し金一、三一一万六、四三四円、同宮崎忠太郎に対し金一、一五九万五、九五一円、選定者宮崎フジ子、同宮崎トヨに対し各金二七万六、〇〇〇円、同宮崎弥一郎に対し金三四万四、〇〇〇円、及びこれらに対する昭和四二年一一月二五日から支払い済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行宣言

(被告)

主文と同旨

第二当事者の主張

(請求原因)

一1  原告黒崎は、後記移住に至るまで、東京都足立区三丁目一二番地において家具類の製造業に従事していたところ、昭和三四年、財団法人日本海外協会連合会(以下海協連という)が、ブラジル国リオ・クランデ・ド・ノルテ州トーロス郡所在のプナウ植民地への移住者を募集していることを知り、東京都海外協会から、海協連発行のプナウ植民地移住者募集要領書(以下本件募集要領書という)の交付を受け、その内容からプナウ植民地が農業適地であると判断して移住を決意し、右東京都海外協会を経由して海協連に対し、プナウ植民地の移住申込をなし、同年八月中旬頃海協連から選考の結果合格した旨の通知を受けた。

2  原告宮崎は、後記移住に至るまで、長崎県壱岐島において、妻トシ及び長男辰蔵とともに山林樹苗業に従事していた。又原告宮崎の長女選定者トヨは、同原告の次女選定者フジ子と共に、同原告の次男午輔方に住込店員として、同原告の四男選定者弥一郎は鉄工所の工員としてそれぞれ働いていた。

原告宮崎は、昭和三四年四月頃、海協連がプナウ植民地への移住者を募集していることを知り、長崎県海外協会から本件募集要領書の交付を受け、その内容からプナウ植民地が農業適地であると判断して移住を決意し、同原告は、本件募集要領書の要求する世帯構成に従い、当時別世帯であった選定者フジ子、同トヨ、同弥一郎らとともに同一世帯を構成して、海協連に対してプナウ植民地の移住申込をなし、同年一〇月頃、海協連から選考の結果合格した旨の通知を受けた。

二1  海協連がプナウ植民地移住者を募集するにあたって発行した本件募集要領書には次のとおりの記載がある。

募集者

自営開拓農三〇世帯

植民地経営者

リオ・グランデ・ド・ノルテ州政府

入植条件

一世帯に低地(米作及び蔬菜栽培地)七・五町歩、高地(特殊農作物栽培、小家畜飼育、住宅用地)四・五町歩合計一二町歩の土地を、二年間据置八年払いの条件で払い下げる予定

地質

低地は有機質に富む黒色の沖積土で土層三メートルから五メートル。高地は砂質土壌で肥沃でない。

土地の利用と営農計画

低地は一二ヶ月の周年生産を企図し、第一に排水(必要に応じ灌漑も考える)、次いで排水後の酸性の改良、化学肥料、特にリン酸、カリの施用が望ましい。低地七・五町歩のうち、五町歩を米作にあて、これを営農の根幹とする。他の低地ではバナナ、蔬菜、豆を栽培する。高地では、ココヤシ、パイナップルを栽培し、鶏、豚等を飼育する。

その他

幹線排水路は一応完成しており、乾期には灌漑の用をなす。支線排水路は各世帯が掘ることになる。風水害等については特記すべきものはない。

2  海協連は、プナウ植民地移住者を募集するにあたり、右1において主張したような記載のある本件募集要領書を配布し、原告らはその記載内容を真実であると信じて、海協連に対しプナウ植民地の移住を申込み、海協連は原告らに対し、それぞれ選考の結果合格した旨の通知をしたものであるから、これにより海協連と原告らとの間に移住契約が成立し、海協連は原告らに対し、本件募集要領書に記載された内容を実現すべき債務を負い、また、原告ら入植者は海協連に対しプナウ植民地に入植して営農すべき債務を負うに至った。

三  昭和三八年七月一五日、海協連と日本海外移住振興株式会社とが合併して被告事業団が設立され、被告事業団は、海協連の全ての債権債務を承継した。

四  原告らは、海協連の指示に基づき、所有財産を売却し、農業用機械器具類、作業衣等を購入した他、移住支度費及び携行資金を調達のうえ、原告黒崎は第一次入植者として、家族四人とともに、昭和三四年一〇月二日ぶらじる丸で神戸港を出港し、同年一一月七日プナウ植民地に入植した。

原告宮崎は、選定者フジ子、同トヨ、同弥一郎ら六人の家族とともに、第二次入植者として、同年一二月二日、あふりか丸で神戸港を出港し、翌三五年一月一五日プナウ植民地に入植した。

五1  本件募集要領書には、前記の如くノルテ州政府が原告ら入植者に対し、一世帯あたり低地七・五町歩、高地四・五町歩合計一二町歩の土地を長期払いで払い下げをする旨の記載があるから、移住契約に基づき海協連は、原告らがプナウ植民地に入植後直ちに、右のような入植契約をノルテ州と原告らとの間に締結させるべき債務を負っていた。

しかし、海協連は、原告らが入植後も長期間放置し、右入植契約の締結を斡旋してこれを実現させなかったため、昭和三七年三月一四日、プナウ植民地の経営主体がピオ一二世財団に変更され、同財団は、原告ら入植者に対し、一世帯当り、低地及び高地各五町歩を譲渡禁止の条件付で贈与することに方針を変更するに至り、結局本件募集要領書に記載された前記入植契約の締結は実現されなかった。また右贈与すら原告らが帰国する昭和四〇年八月までに履行されず、原告ら入植者は、事実上低地五町歩の無償使用を許されているにすぎなかった。

2  また、本件募集要領書には、前記の如く原告ら入植者は、水害がなくかつ有機質に富む黒色の沖積土からなり、米や蔬菜の栽培に適する低地七・五町歩と、肥沃ではないが砂質土壌からなり、ヤシやパイナップルなどの栽培に適する高地四・五町歩の割当を受ける旨の記載があるので、前記移住契約に基づき、海協連は、原告らが入植後直ちに、原告らに対し右のような土壌の農業適地を割当てるべき債務を負っていた。しかるに、原告らは低地五町歩の割当を受けただけであり、しかも低地の土壌は有機質に富む黒色の沖積土ではなく、生産性の極めて低い泥炭土であり、また低地は湿地帯で排水が悪く、地面は年々恐るべき沈下現象を呈し、雨期になると必ず冠水して作物は被害を受け農耕ができなくなった。

高地は使用割当をされなかったが、原告らは、家の周囲にココヤシ、パイナップル、カジューなどを試験的に栽培してみたところ、高地は不毛の砂漠であるため全部枯死してしまった。

このような低湿地帯の開発には、排水の改良と客土とを必要とするのであるが、低地の排水路はフオンセッカ川に流入しており、右川の水位は高く排水は不良であり、これを改良するため排水路を深く掘れば、雨期には右川から水が逆流してしまうので結局排水を改良することはできず、さらにプナウ植民地の周囲は砂漠であって、付近に土壌はなく、従って客土をすることは事実上不可能であり、結局低地の開発は不可能であった。

高地は砂漠であるから、これを開発するためには広面積にわたって灌漑設備を設ける必要があるが、これをなせば農業採算は合わず、また原告ら入植者の資力では全く不可能であった。

以上のとおり、プナウ植民地の低地は生産性の極めて低い泥炭土であり、また低湿地帯であるため排水が悪く、毎年雨期になると必ず冠水する常習水害地であり、また高地は農業的価値皆無の不毛の砂漠であり、これらの悪条件は原告ら入植者がいかに努力をしても絶対に克服できないものである。

3  海協連は、前記移住契約に基づき、原告らに対し本件募集要領書に記載された内容を実現すべき債務を負っていたにも拘らず、右1、2において主張したように、この債務を履行しなかった。

よって原告らは、昭和三八年三月五日付の郵便をもって、海協連に対し、右債務不履行を理由に、原告らと海協連との間の前記移住契約を解除する旨の意思表示をなし、右郵便は、同月二〇日海協連に到達した。

六  かりに、右債務不履行の主張が認められないとしても、海協連の行為は不法行為を構成する。

すなわち、海協連の職務代行者である大谷晃は、プナウ植民地の事前調査により、プナウ植民地が難民救済事業及びその対策入植地として開設され、原告ら入植者は難民として扱われるものであること、またプナウ植民地に、前記五の1及び2において主張したような悪条件があること、すなわち、低地は湿地帯であって、年々恐るべき沈下現象を呈していること、低地の土壌は生産性の極めて低い泥炭土であり、かつ排水が悪く、毎年雨期になると低地が水没して農耕ができなくなること、高地は農業的価値皆無の不毛の砂漠であることなどを知りながら、これらの事実を、同人が作成して外務省に送付したプナウ植民地の調査資料に故意に記載しなかったため、右資料に基づいて作成された本件募集要領書に右のような悪条件が記載されず、原告らは本件募集要領書を吟味してプナウ植民地が農業適地であると判断してプナウ植民地に入植し、その結果、原告らは難民として扱われ、また右悪条件のため営農の失敗を余儀なくされたものである。

原告らは、自営農として移住する意思であり、また、土地条件の悪い所に移住することにならないように、土質などについては細心の注意を払っていた。従って、もし本件募集要領書に右のような事実が記載されていたならば、原告らはプナウ植民地に入植しなかったことはもちろんである。

従って前述のとおり、大谷晃がプナウ植民地の調査資料に右悪条件などを秘して記載しなかったことは原告らに対し不法行為を構成すべく、また大谷晃は海協連の職務代行者であるから、民法四四条一項により海協連は原告らに対し右不法行為の責任を負うべきである。又原告らは前記の如くプナウ植民地が本件募集要領書と異り全く使いものにならない不良土地が多く永住可能の見込みがないことを知ったので、海協連に対し昭和三四年三月五日付手紙で、原告ら二家族を日本へ送還してもらうよう要求したところ、同年四月一八日被告の職務代行者大谷晃はプナウ植民地にきて「送還する法律がない。送還要求を受付けたり、拒絶したりする権限を大谷に与えられていない」と主張し、又原告らは昭和三九年五月一九日付手紙で被告事業団に対し、契約上の責任不履行及び不法行為を理由として、日本への送還要求をなしたのに対し、被告事業団の職務代行者たる竹野家茂職員は同年七月中旬頃プナウ植民地に来て、「原告らは自主的に移住したのであるから、被告事業団には原告らを送還する責任はない」との趣旨の主張をなし、又同年一〇月四日被告事業団の職務代行者大橋正義職員はプナウ植民地に来て、原告らの送還要求に対し「事業団(被告)の責任による送還は許されない。また国援法適用による帰国も許されない」と述べ、原告らが被告の前記債務不履行を理由として民法五四五条により前記移住契約を解除し、その原状回復義務の履行として、日本への送還を要求したのに対し、何ら正当事由なく右送還要求を拒否したのである。右大谷、竹野、大橋の各言動は原告らに対する不法行為を構成するものであり、前同様の法条により、被告事業団は原告らに対し、その責を負うべきである。

七1  原告らは、海協連の債務不履行又は不法行為により、前述のような悪条件に満ちたプナウ植民地において営農を余儀なくされ、原告らは帰国するまでの約六年間、それぞれ二回ロッテを変更して収穫をあげるべく鋭意努力したが、原告らの力ではプナウ植民地の悪条件を克服することはできず、原告らはいずれも営農に失敗し、原告らは極貧に陥り、家族は健康を害し、餓死状態をさまよった。

原告らは、再三海協連や被告事業団に対して原告らの日本送還を要求したにも拘らず、海協連や被告事業団はこれを拒否し続け、原告らは、やむなく昭和四〇年三月一二日、国の援助等を必要とする帰国者に関する領事官職務等に関する法律(以下国援法という)の適用を申請し、同法の適用を受けて、同年八月九日帰国した。

2  原告らは、海協連の債務不履行又は不法行為により、次のとおりの損害を蒙った。

(一) 原告黒崎の損害 合計金一、三一一万六、四三四円

(1) 移住準備により蒙った損害 金四〇〇万円

原告黒崎は、移住前東京都足立区本木三丁目一二番地の借地上に木造瓦葺二階建の木工工場兼居宅を有していたが、移住用資金調達のため、右家屋を借地権とともに(現在の価格合計金三八〇万円相当)を金四〇万円で、家具、機械、什器等を二〇万円で売却した。これらは、いずれも売却代金を移住資金に充当するために売却し、かつ売却代金は全て移住資金に充当したものであるから、結局、同原告は、右借地権付家屋や機械、家具等の現在の価格相当の金額の損害を蒙ったものである。

(2) 移住期間中の逸失利益 金二八四万円

同原告は、移住に至るまで右(1)記載の木工工場において家具製造業に従事し、月金一〇万円の純利益を得ていた。このうち生活費に六割を必要としていたので月金四万円の残存利益があった。従って、同原告が移住のため家具製造業を廃止した昭和三四年九月から同原告が帰国した昭和四〇年八月までに、得べかりし利益金二八四万円を逸失した。

(3) 渡航費用 金四〇万八、〇〇〇円

(4) 帰国費用 金八六万八、四三四円

(5) 慰藉料 金五〇〇万円

請求原因七の1の事実に加え、同原告は軌道に乗っていた家具製造業を失い、また子供の教育の停止による知能の低下を来たし、約六年の長期にわたる人生の空白を生じ、このため、家族全員が社会の落伍者となり、人生への希望も消えてしまった。同原告のこのような肉体的、精神的損害は深刻であり、これを慰藉するには、少なく見積っても金五〇〇万円は必要である。

(二) 原告宮崎の損害 合計金一、一五九万五、九五一円

(1) 移住期間中の逸失利益 金三八八万一、〇〇〇円

原告宮崎は移住に至るまで妻、長男とともに山林樹苗業を営んでおり、昭和三四年一二月から同四〇年八月までの移住期間に金七七六万二、〇〇〇円の純利益が得られたはずであるが、そのうち生活費として五割を控除した金三八八万一、〇〇〇円の利益を逸失した。

(2) 移住支度金及び携行資金 金四〇万円

(3) 農業用機械器具類購入費 金三八万五、〇〇〇円

(4) 渡航費 金七一万四、〇〇〇円

(5) 帰国費 金一二一万五、九五一円

(6) 慰藉料 金五〇〇万円

原告黒崎と同一の理由であり、原告宮崎の精神的肉体的苦痛を慰藉するためには少くとも金五〇〇万円が必要である。

(三) 選定者宮崎トヨ、同宮崎フジ子の損害 各金二七万六、〇〇〇円

選定者宮崎トヨ、同宮崎フジ子は、移住に至るまで、ともに原告宮崎の次男午輔方に住込店員として働いており、生活費を控除して、それぞれ月金四、〇〇〇円の残存利益があった。従って、両名の五年九ヶ月にわたる移住期間における逸失利益は、それぞれ金二七万六、〇〇〇円となる。

(四) 選定者宮崎弥一郎の損害 金三四万四、〇〇〇円

選定者宮崎弥一郎は、移住に至るまで鉄工所工員として働き月収金二万五、〇〇〇円を得ており、このうち生活費を控除すると月金五、〇〇〇円の残存利益があった。従って、同選定者の五年九ヶ月にわたる移住期間における逸失利益は金三四万四、〇〇〇円となる。

八  よって、原告らの蒙った債務不履行又は不法行為による損害について、海協連の債務を承継した被告事業団に対し、原告黒崎は金一、三一一万六、四三四円、原告宮崎は金一、一五九万五、九五一円、選定者宮崎フジ子、同宮崎トヨは各金二七万六、〇〇〇円、同宮崎弥一郎は金三四万四、〇〇〇円と、これらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四二年一一月二五日から支払済に至るまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因一の1及び2の事実は認める。

二  請求原因二の1の事実は認めるが同2は争う。

原告らがプナウ植民地に移住した昭和三四年当時、我国における海外移住事業の事務担当は、昭和二九年七月二〇日付閣議決定に基づいて、移住者の募集、選考、訓練及び現地調査等の事務は農林省が担当し、海協連は、外務省及び農林省の指示を受けて、移住民選考の事務を担当していたにすぎないものである。

外務省は、昭和三四年三月六日、プナウ植民地の募集要領書の作成を農林省に依頼し、農林省は、これに先立つ昭和三三年六月に、杉頴夫農林技官を現地に派遣して調査させ、その調査結果、ノルテ州政府の計画書、海協連リオデジャネイロ支部長大谷晃作成の調査報告書などを参酌して、プナウ植民地移住の応募選考の方法、入植条件、入植地の状況、営農の指針などプナウ植民地募集要領の内容を確定し、同省は、右閣議決定に基づき、プナウ植民地移住者の募集開始を都道府県及び海協連に指示し、海協連は、農林省の確定したプナウ植民地募集要領案に基づいて本件募集要領書を作成し、各都道府県海外移住協会を通じて移住者を募集した。

これに対して原告ら移住希望者は、都道府県、市町村、又は地方海外協会から本件募集要領書を入手して、家族構成、職業経歴、携行資金など、選考の参考となる事項を記入した移住申込書を地方海外協会に提出し、地方海外協会は応募者について、ブラジル移植民法が要求する資格に合致するか否か、プナウ植民地での営農能力を備えているか否か等について審査を行ない、適格者を海協連に推薦し、海協連、農林省及び外務省で構成した選考会において、右推薦のあった移住希望者に対し、地方海外協会が行なったのと同様の事項について書面審査を行ない、原告らを含む合格者を決定し、合格通知書を発行した。この合格通知書は、渡航費貸付適格を証明する文書として必要とされ、また旅券申請書に添付することが要求されていた。

合格通知を受けた原告ら移住者は、各地方海外協会の介助のもとに、旅券申請に必要な書類を整え、外務省から旅券の発給を受けた。さらに原告らは、各地方海外協会及び海協連の介助のもとに、無犯罪証明書、その他ブラジル入国許可取得に必要な書類を得て、ブラジル領事の審査を受けた。ブラジル領事は、プナウ植民地移住者に特別入国許可を与えよとのブラジル移植民院の指示に基づき、ブラジル移植民法の定めるところに従って、プナウ植民地移住者を審査し、原告ら適格者に入国許可を与え、これにより原告らはプナウ植民地に入植したものである。

右のとおり、海協連の行なった募集なるものは、農林省によって内容を確定された本件募集要領書を一般に配布し、日本人移住者の受入を申出ているブラジルの植民地の存在及びその入植条件などを知らせ、移住希望者があれば、これをブラジルの植民地当局に連絡するという無償サービスの申出であり、海協連が原告らに対し、選考に合格した旨の通知を出したことは、原告らが提出した書類及び面接により、ブラジルの植民地当局が原告らを移住者として受入れる可能性があると判断した結果の通知にすぎないものである。

右のとおり、プナウ植民地の開発及び原告ら移住者の受入主体はノルテ州政府(原告らの入植後にピオ一二世財団に変更した)であり、海協連が自らプナウ植民地を開設して原告らを入植させたのではなく、海協連は、原告らのプナウ植民地入植について、あくまでも原告らを側面から援助するという第三者的立場にあるにすぎないものであり、海協連と原告らとの間に、原告らの主張する移住契約なるものが成立する余地はない。

三  請求原因三及び四の各事実は認める。

四  請求原因五の1の事実のうち、海協連が原告ら主張の債務を負っていたことは争い、その余の事実は認める。

原告らがプナウ植民地に入植した当時、植民地の経営を行なっていたノルテ州政府は、各入植者に対し、それぞれ低地七・五ヘクタール、高地四・五ヘクタール合計一二ヘクタールを有償で払い下げる方針であったが、ノルテ州政府が経営困難に遭遇した結果、州令によって昭和三六年一月九日、自作農創設とその維持を目的として設立されたピオ一二世財団に、昭和三七年三月一四日付でプナウ植民地の土地を贈与し、新たにプナウ植民地の経営主体となった同財団は、大地主の土地買占と零細農民の発生を防止するため、入植者に対し、譲渡禁止を条件として土地を贈与することに決定したものである。また、これに伴い、同財団は、低地に一部不良部分があることを理由に、割当面積を低地、高地各五ヘクタールに変更したのであるが、海協連はこの割当面積変更について、植民地当局に対して抗議するとともに、従来の条件どおりの面積を割当てるように強く要求した。しかし、その後の修正作業により同財団は各入植者に対し、低地七ヘクタール、高地八ヘクタールを贈与することに方針を変更し、昭和四四年八月右贈与は実行された。

また、原告らの入植期間中高地の割当がなされなかったのは、プナウ植民地当局が低地の開発に主力を注いでいたためである。

五  請求原因五の2の事実のうち、本件募集要領書に原告ら主張の記載のあること、低地が湿地帯であること、低地の一部に泥炭土のあること、原告らは低地五町歩の割当を受けただけであることは認めるが、その余の事実は否認する。

以下に述べるとおり、プナウ植民地は、本件募集要領書に記載されたとおりの好条件の土地であり、入植者の努力、工夫次第で十分な農業成績を上げることができる。

1 プナウ植民地の土壌について

低地の土壌は別紙土壌分類表のとおり大部分が沖積土であり、いずれも相当程度の生産性を保有している。高地の土壌は、本件募集要領書に記載されているとおり砂質土壌(主として砂土)である。これは、低地に比して生産力は低いが、農業経営の一環としてその利用を考えると、相当程度の効用を有する。

2 プナウ植民地の営農方針について

プナウ植民地の低地は湿地帯であるが、この土地が植民地に選定されたのは、乾燥性のこの地方では、低湿地帯こそ農業に適しているからに外ならない。低湿地帯においては、適期適作の農業が大原則となるのであり、プナウ植民地においては、一般に八月頃から二月まで(乾期)を蔬菜栽培に、三月から八月頃まで(雨期)を米作に利用し、低地の特に滞水しやすい部分には、水に強くかつ安定収入源であるバナナを永年作物として植えるというのが、プナウ植民地の気象、土壌等の特性を考慮した適期適作の大原則であり、これによりロッテ割りされた低地は、ほぼ全面積にわたり周年利用が可能となるのである。プナウ植民地の低地は、ブラジル東北部において蔬菜の栽培が途絶して価格が高騰する乾期の間に、低湿地の特質を生かして蔬菜を栽培することが可能であり、この点においてもプナウ植民地は非常な利点を有している。そして、雨期到来前早目に蔬菜栽培を切り上げ、雨期には残存肥料を利用して水に強い米を栽培するというのが、プナウ植民地における適期適作の大原則であり、この原則を守れば水害を免れることができ、原告ら入植者は、これらの励行を植民地当局から勧告されていた。

高地は、原告ら入植時には既にヤシが育って林をなしカジューの樹も自生していた程であり、施肥、灌漑など適当な手段を講ずることにより高地を利用することが可能であった。原告らはプナウの低地は地面が沈下する旨主張するけれども、プナウの土壌は泥炭土より更に腐植の進んだより栽培に適する黒泥土であり、又未開拓地を開発すれば、土地の熟成化に使う有機物の分解等により表層土壌の収縮現象が起きるのは当然であり、何も泥炭土に限って見られる現象ではない。そして、この現象は原告らが主張するように地面が数年で顕著に沈下するのではなく、非常に緩漫に起り、一定期間の経過後に停止するのであるから、営農には全く支障とはならない。むしろ、この現象が生ずることは、土地の熟成化が進行していることを意味しており、かつ排水が十分に行われている事実を示すものである。通常これらの現象に対しては有機物を投入補給しながら、土地の保全に努めるのが一般農業の常識である。仮に原告ら主張の如く年々地面の沈下が顕著に進行するのであれば、現在のプナウは既に埋没し、沼か湖と化していなければならないはずである。しかるに現実は後記の如く四九戸の入植者が定着し、営農に励んでいるのである。

3 プナウ植民地の現在の営農状況

原告らが使用した低地のロッテは、昭和四三年三月現在次のとおり他の入植者が耕作し、いずれも好成績を上げている。原告黒崎の耕作した第一回目のロッテはブラジル人入植者が耕作し、バナナを栽培し、第二回目のロッテもブラジル人入植者が耕作し、バナナ、米、蔬菜を栽培し、第三回目のロッテは請井が耕作し蔬菜を栽培している。原告宮崎の耕作した第一回目のロッテはブラジル人入植者が耕作し、バナナ、蔬菜を栽培し、第二回目のロッテは北山が耕作し、蔬菜を栽培し、第三回目のロッテはブラジル人入植者が耕作し、バナナ、米、蔬菜を栽培している。以上を含め、現在プナウ植民地に四九世帯が入植し営農に励み好成績を上げている。

4 原告らの営農失敗の原因

原告黒崎は元指物師であり、農業経験がないにも拘らず不当にもそれを偽って移住したものであり、また稼働力も乏しく、東京都海外協会から、同原告の娘が適令期にあり、近く家族構成から離脱するときは、同原告と妻の二名の稼働力では順調な発展が望めないから、移住を断念するように勧められたにも拘らず、これを押切ってあえて移住した経緯がある。同原告は勤労意欲が至って薄く、農作業は殆んど娘の肩に負わせており、開墾作付面積も極めて僅少であり、またロッテの選定についても、同原告の選んだ第三回目のロッテは、住宅寄りではあるが、別紙土壌分類表記載のアレスコの部分が相当あり、農耕に不利であることを他の入植者から注意されたにも拘らず、住宅に近いという理由でこれに固執し、また、雨期に冠水する所は高畝にすることが常識であるにも拘らず、他の入植者にこのことを注意されてもこれを聞き入れず、何ら努力、工夫することもなく論外の営農ぶりであった。

原告宮崎は、農作業について家族の一致協力がなく、働く時間も短く、折角与えられた広い農地とまともに精力的に取組んだことはなく、その営農は凝り性ではあるが実際的でなく、独断自己流であり、僅少な面積を相手に、早速の間に合わぬ試験的ないし園芸的色合いの強い小規模農業に終始したものである。同原告は家族全員が稼働者という恵まれた家族構成を有し、かつ耕転機などの大農具を有しながら、同原告が選んだ三回目のロッテは、先に東川内弟が全五町歩を耕作し、メロンで驚異的な成績を上げたロッテであり、同原告も、「ここなら自信を持ってやれる。」と感謝していた程の良い土地であったが、なおかつ最大耕作面積はせいぜい二町歩程度であり、何ら見るべき成績を上げなかったのである。

原告らは、雨期になると低地が冠水して作物が被害を受け、農業ができなくなったと主張するが、これこそ前述の適期適作の原則を全く無視した、まさに語るに落ちた主張である。すなわち、雨期入り当初は、この地方はいまだ蔬菜の生産量が少ないので蔬菜の値が高く、蔬菜の栽培が高収入をもたらすことから、蔬菜栽培を打切って米を栽培すべき雨期に入っても蔬菜の栽培を続けたため、蔬菜が被害を受けたものであり、適期適作の原則を無視した当然の結果である。

以上のとおり、原告らの営農失敗の原因は、原告らの営農能力の欠如、努力、工夫の欠如、開拓精神、営農精神の欠如、さらには、利益につられて蔬菜栽培に終始するという適期適作の原則の無視などに存するのであり、この責任は全て原告ら自身が負うべきものであり、原告らの営農失敗の原因がプナウ植民地の土質や気象条件にあるのではない。

六  請求原因五の3の事実のうち、海協連が原告ら主張の郵便を受領したことは認めるが、移住契約解除の意思表示がなされたことは否認する。その他は争う。

七  請求原因六の事実のうち、大谷晃がプナウ植民地を調査し、その調査資料を外務省に送付したこと、低地が湿地帯であることは認めるが、プナウ植民地が難民対策事業及びその対策入植地として開設されたこと、またプナウ植民地に原告ら主張の悪条件のあることは否認し、海協連らの不法行為の主張は争う。

八  請求原因七の1の事実のうち原告らが国授法の適用を受けて昭和四〇年八月九日帰国したことは認める。(但原告宮崎が帰国したのは同月一四日である。)その他は争う。

請求原因七の2は争う。

九  請求原因八は争う。

(不法行為の主張に対する抗弁)

かりに海協連が不法行為の責任を負うとしても、原告らは本訴で主張している事実について、昭和三八年三月及び五月に海協連あて発信しているところから、同年五月一五日には右事実を認識していたことは明らかである。よって原告らが本訴を提起した昭和四二年一〇月の時点においては、原告らは加害者及び損害を知った時より三年以上経て訴を提起したこととなり、不法行為を理由とする原告らの本件損害賠償請求権はすでに時効により消滅しているので被告事業団は昭和四九年六月三日の本件第四〇回口頭弁論期日において右時効を援用した。

(原告らの右抗弁に対する答弁)

争う。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一  請求原因一、同二の1、同三及び四はいずれも当事者間に争いがない。

二  (債務不履行の主張に対する判断)

1  (海協連成立の経緯及びその職務内容)

≪証拠省略≫によると次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

日本人のブラジルへの移住は、明治四一年笠戸丸による移住に始まり、その後、狭い日本から脱出し活動の場を広大なブラジルに求めて多くの日本人が移住して行ったが、第二世界大戦の勃発とともにブラジル移住は途絶した。大戦終了後、近親の呼寄せなどでブラジルに渡航する自由移住は直ちに再開されたが、ブラジルの植民地当局が日本人入植者を募集し、これに応じて移住する計画移住(原告らの移住もこれに属する)は長期間途絶状態が続き、昭和二七年アマゾンのジュート栽培農民の移住により、ようやく再開されるに至った。

右のジュート移住においては、我国の現地調査、募集要領書の作成、移住者の選考、送出等の移住業務は、外務者と農林省とが共同してこれを担当し、末端の具体的な募集業務は、各都道府県に依頼して行なった。しかし、このように計画移住が再開されると、我国の移住業務が相当複雑かつ高度なものになったので、移住業務を担当する統一された一定の組織が必要となったこと、また昭和二七年に政府が移住者に渡航費を貸付ける制度が創設され、その運用の適正を期する必要が生じたことなどから、昭和二九年一月日本国民の海外移住の斡旋及び援助を行なうことを目的として海協連が設立され、主務官庁を外務省と定められ、その具体的業務として(一)移住受入団体との連絡提携、(二)移住者の募集、選考、訓練、講習、(三)渡航費の貸付け、などの業務を担当することになった。そして、海協連の運営資金は、その大部分が外務省及び農林省からの補助金でまかなわれていた。

2  (外務省、農林省と海協連との関係)

≪証拠省略≫によれば、昭和三〇年五月二〇日、我国の農林漁業移民の移住業務に関し、外務省と農林省の各事務次官の間で次のような内容の覚書が交されたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  外務省はブラジル植民地当局の個別的、具体的受入条件をなるべく速やかに農林省に通報し、農林省は右通報に基づいて、募集、選考、及び実務講習に関する要領を作成し、外務省と協議のうえこれを決定すること。(二)右決定に基づき農林漁業移民が移住斡旋所に入所するまでの募集選考(ただし最終決定を除く)、実務講習及びこれらに伴い必要な国内広報の事務は農林省が責任をもって担当すること。従って、都道府県及び海協連に対する右の事務についての指示通牒は農林省が行なうこと、ただし、基本的重要事項については外務省と農林省の連名で行なうこと。(三)農林漁業移民選考の最終決定については、外務省と農林省と共同して担当すること。

また、≪証拠省略≫によれば、原告らがプナウ植民地に移住した昭和三五年当時、農林省振興局拓殖課に現地調査係が設置されており、植民地の調査事務を担当していたこと、また同課に募集選考係が設置されており、募集要領書の作成事務は同係が担当していたこと、同係は、外務省から送付された募集及び送出に関する資料及び農林省が派遣した現地調査員の調査報告書などをもとに募集要領案を決定すること、農林省は右募集要領案について外務省と協議し、同省に異議がなければ、農林省は海協連会長宛に右募集要領案に基づいて移住者の募集を指示すること、海協連は、右募集要領案の内容について何ら増減変更を加える権限はなく、右募集要領案と全く同一内容の募集要領書を作成するように指導されていたことなどを認めることができ、この認定に反する証拠はない。

3  (プナウ植民地開設及び本件募集要領書作成の経緯)

≪証拠省略≫によれば以下の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(一)  ノルテ州はブラジルの東北部に位置し、広大な湿地帯を有していたが、これらは未開発のまま放置されており、現地人は近代的な農法に習熟せず、原始的農法しか普及していなかった。そこで、それまで放置されていた低湿地帯の開発及びノルテ州の首都ナタール市の食料供給事情の改善という目的にあわせて、現地人に近代的な営農法を普及させ自営農を創設するという目的のため、昭和三一年低湿地帯にビウン連邦植民地が開設され、植民地当局は右目的達成のため、先進的農業技術を有し、また多くの移住者がブラジルに多大の貢献をし、ブラジル国民から深い信頼を寄せられていた日本人移住者を入植させることに決定し、これにより日本人一〇家族がビウン植民地に導入された。日本人入植者はビウン植民地の低湿地を合理的に開発利用し、作物を多様化するとともに収穫量を著しく増加させてビウン連邦植民地当局の目を見張らせ、その結果ナタール市に豊富な蔬菜を供給することが可能となった。

(二)  ノルテ州政府は、ビウン連邦植民地の成功に刺激され、ビウン連邦植民地の場合と同様の目的のため、ノルテ州経営の植民地開設を計画し、農業技師でありビウン連邦植民地所長であるアントニオ・コエリヨ・マルタが中心となって右計画を進め、ビウン連邦植民地と似かよった土壌を有するプナウの土地を植民用地として選定し、右土地の所有者と買収交渉にあたった。アントニオ・コエリヨ・マルタは昭和三二年七月二六日、ノルテ州政府の依頼により、プナウの土地の土壌、立地条件などの調査結果をまとめて、プナウ植民地設立計画書(乙第八四号証の三)を作成した。このプナウ植民地設立計画書は、その後の日本側の調査の基本となったものであるが、これには次のような趣旨の記載がある。

(1) プナウの植民予定地一、三六五ヘクタールは私有地であるが、ノルテ州は所有者と交渉して右土地売渡の同意を得た。

(2) 右土地の低地は有機質に富む沖積土からなっており、米、バナナ、野菜等の栽培に適する。高地は硅砂質であり、地味はやせているが、ヤシ、カジユー、ゴイヤバなどの栽培は十分可能である。

(3) 右土地を一〇〇のロッテに分割し、一家族あたり低地七・五ヘクタール、高地四・五ヘクタール、合計一二ヘクタールを割当てる予定である。

(4) 入植者に対し、右一二ヘクタールを長期償還条件で払い下げるべきである。

(5) プナウ植民地に、米作に精通し、かつ気候風土への順応度の高い日本人を導入する必要がある。

(6) 低地は排水工事を行なうことが必要であるが、これは、国家事業改良局の手で容易に行なうことができる。

(7) 排水工事が完了し、カリや硫黄分などの化学肥料を投入することによって、酸性度を矯正するなどの補足作業が実施された後には、プナウ植民地は高度に生産的な土地に変わる。

(三)  アントニオ・コエリヨ・マルタは昭和三二年頃、当時松原安太郎コンセッショナリオの代理人であった大谷晃(海協連リオデジャネイロ支部長の職にも就いていた。)に対し、プナウ植民地設立計画書を示すとともに、ノルテ州がプナウ植民地に日本人移住者を導入する予定である旨を伝えた。このコンセッショナリオというのは、ブラジルに特別に移住者を導入する特許を与えられた者であるが、当時バラガス大統領が親日的であり、また戦前の日本人移住者がブラジルに多大な貢献をしていることから、ブラジルの古い日本人移住者であり、同大統領と親交のあった辻小大郎、松原安太郎の両名が、昭和二七年八月、当時のブラジル移植民審議会から、辻につき、アマゾン地域に日本人移住者五、〇〇〇家族を、松原につき、ブラジルのその他の地域に日本人移住者四、〇〇〇家族をそれぞれ導入する特許を与えられていた。

コンセッショナリオは、常時ブラジルの連邦、州、郡の各機関及び民間の団体と接触を保ち、植民地開設の計画を知ることに努め、また植民地当局においても日本人移住者の導入を決定したときは、コンセッショナリオにその旨連絡して日本人移住者の導入を要請するのである。コンセッショナリオはこのようにして日本人移住者の導入を希望している植民地の存在を知った場合、現地を調査し、日本人移住者の入植に適すると判断すれば、ブラジル移植民院に対し、自己の有する特許枠に基づいて、右植民地の日本人入植家族数の具体的割当を求める旨の申請をし、これが認められて日本人入植者数が決定されれば、コンセッショナリオは、ブラジル駐在の日本大使館を通じて外務省に対し、日本人移住者の募集送出を依頼することになっていた。しかし、右松原コンセッショナリオは病弱であったため、昭和二九年、大谷晃がブラジル移植民院の承認を得て、同コンセッショナリオの代理を務めていた。

大谷は、その後プナウ植民地日本人導入について、ブラジル側関係当局と接触を保つとともに、駐ブラジル日本大使館の一等書記官であり、移住事務を担当していた藤勝周平に対し、右計画を伝えるとともに、昭和三三年三月頃、両名はプナウ植民予定地に赴いて、アントニオ・コエリヨ・マルタの案内で現地調査を行なった。当時はまだ植民地としての形態はなかったが、大谷と藤勝はアントニオ・コエリヨ・マルタからプナウ植民地設立計画書に基づいて、プナウ植民地の入植計画、営農計画、公共施設設置計画、融資計画などについて説明を受けた。両名はいずれも農業経験を有していなかったが、アントニオ・コエリヨ・マルタの説明や自己の職務経験から、プナウ植民地は右計画書に記載されているとおり、排水工事を行ない酸性度の改良がなされたあかつきには、日本人移住者にとって営農可能な農業適地になると判断した。藤勝は右調査結果を報告書(乙第一六五号証の二)にまとめ、同年四月これを日本の外務省に送付した。

右報告書には次のような趣旨の記載がある。

(1) 割当面積は、一家族あたり、集約耕地として低地七・五ヘクタール、建物、小家畜、果樹栽培用地として高地四・五ヘクタールである。

(2) 土質については、低地は有機質に富む黒色の沖積土で土壌層五メートルに達し中酸性であるが、高地は埴質砂土である。

(3) 低地は有機質の腐植化が進んでおり、排水工事も比較的楽とみられ、耕土の造成は容易かつ急速に行なわれると思われ、植民地当局の米作収支の試算には妥当性がある。

(四)  一方、農林省振興局研究部研究企画官杉頴夫は、昭和三三年六月、南米の植民地及び植民予定地の視察に派遣され、同月二一日プナウ植民予定地を訪れ、アントニオ・コエリヨ・マルタから説明を受けるとともに、自らも低地を二ヶ所ばかり掘るなどして検分し、またアントニオ・コエリヨ・マルタの植民事務所においてプナウ植民地設立計画書などの資料を検討した結果、プナウ植民地は、排水工事と酸性の中和をすれば、営農に適した土地になると判断し、帰国後、調査結果を報告書(乙第一号証の二)にまとめた。

右報告書には次のような趣旨の記載がある。

(1) 入植者は、一戸あたり、農耕地として低地七・五ヘクタール、建物、小家畜、果樹用地として高地四・五ヘクタールを、二年間据置五ヵ年賦償還の条件で払い下げられる。

(2) 低地は有機質に富む黒色の沖積土、土層は三~五メートル、PHは五~五・五。

(3) 低地の排水工事は、昭和三三年八月から開始して、翌年の雨期前に完了する予定。

(4) 災害事情は特記すべきものはない。

(五)  大谷晃は、プナウ植民地当局からの日本人入植者の導入要請に基づき、昭和三三年九月一五日移植民院総裁に対し、プナウ植民地に日本人入植者三〇家族を導入する許可を申請し、同年一一月一四日、右申請は許可された。大谷は、昭和三四年二月一一日、在ブラジル日本大使館を通じて、同人が、プナウ植民地当局の説明や現地調査などに基づいて作成したプナウ植民地移住者募集要項を外務省に送付するとともに、移植民院から許可のあった三〇家族の募集、送出を要請した。右募集要領には、入植資格、入植手続などとともに、現地の状況について次のような趣旨の記載がある。

(1) 一世帯に対し、低地(農業適地)七・五ヘクタール、高地(農耕価値は劣るが、特殊果樹の栽培、小家畜及び住宅用地に当てる)四・五ヘクタールのロッテが割当てられる。低地の土壌は酸性五、六度の腐植土、高地の土壌は酸性砂礫土で灌木粗林。ロッテ及び住宅の代金は、二年据置八年払となる見込み。

(2) 地形は高地(起伏緩慢)に囲まれた低湿地(平坦)である。

(3) 排水路は一応完成している。

(4) 風水害、鳥獣害なし。

(六)  外務省移住局長は、昭和三四年三月六日、農林省振興局長に対し、大谷の送付してきたプナウ植民地移住者募集要項をもとに、プナウ植民地募集要領案を作成して外務省と協議せよとの通知を出した。これに対し、農林省振興局拓殖課募集選考係農林技官秋山英次は、大谷作成の右募集要項、杉頴夫作成の調査報告書及び藤勝周平作成の報告書を参考にして、昭和三四年三月一七日、プナウ植民地募集要領案(乙第三号証の一、以下募集要領案という)を作成した。秋山は募集要領案作成にあたって、入植条件(土地家屋の払下げ条件)については、大谷の右募集要項を参考にし、土質などの自然的条件については、杉作成の調査報告書の内容をそのまま引用した。秋山は、募集要領案について外務省と協議し、同省に異議がなかったので、農林省振興局長の決裁を得、同局長は、海協連会長に対し、募集要領案をもとにプナウ植民地移住者の募集選定を開始せよとの指示を出した。

(七)  海協連は農林省の指示に基づき、秋山英次作成の募集要領案に何ら増減変更を加えることなく、これと全く同一内容の本件募集要領書を作成した。本件募集要領書には、応募選考の手続、入植手続の外に、前認定のとおり、請求原因二の1において主張されたような記載がある。

4  (原告らの移住の経緯)

≪証拠省略≫によると以下の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(一)  海協連は、本件募集要領書を各地方海外協会に配布して、プナウ植民地移住者の募集と、入植資格を有すると認められる者の推薦を依頼した。

(二)  原告の黒崎は東京都海外協会から、原告宮崎は長崎県海外協会からそれぞれ本件募集要領書を入手し、プナウ植民地を移住志望地の一つとし、家族構成、農業経験、携行資金、応募の動機などとともに移住志望地(第三志望地まで記載することになっている)など選考の参考となる事項を記載した移住申込書を右各地方海外協会に提出し、各地方海外協会は原告らに対し、移住意欲、農業経験、健康状態、稼働力、人物性格などについて審査を行ない、東京都海外協会は原告黒崎を、長崎県海外協会は原告宮崎をそれぞれ移住適格者として海協連に推薦した。

(三)  海協連は、各地方海外協会から推薦のあった原告ら移住希望者に対し、外務省と農林省とを加えた選考会において最終審査を行ない、原告らをプナウ植民地当局の要求する入植資格を有するものと判断し、各地方海外協会を通じて、原告らに対し、合格通知書を交付した。

(四)  原告らは、海協連及び各地方海外協会の介助により、外務省から旅券の発行を受けるとともに、無犯罪証明書、農業従事証明書、健康証明書などの必要書類を整えて、駐日ブラジル領事から査証を受け、数日間移住斡旋所に入所して講習を受け、海協連から渡航費の貸付けを受けて、海協連の引率によりブラジルに渡航し、プナウ植民地に入植した。

5  (移住契約についての判断)

原告らは、海協連はプナウ植民地移住者を募集するにあたって、請求原因二の1において主張したような記載のある本件募集要領書を配布し、原告らは右記載が真実であると信じてプナウ植民地移住を決意して、海協連に対し移住の申込をなし、海協連は原告らに対し、選考の結果合格した旨の合格通知書を発行したのであるから、これにより、海協連は原告らに対し、本件募集要領書の右記載内容を実現する債務を負い、原告らは海協連に対し、プナウ植民地に入植し、営農を続けるべき債務を負うに至ったと主張する。

しかしながら、前1ないし4において認定したとおり、プナウ植民地開設及び経営の主体はノルテ州政府(原告らの入植後ピオ一二世財団に変更した)であり、またノルテ州政府は、その独自の計画により、プナウ植民地に日本人移住者の導入を決定し、入植条件などを示して、松原コンセッショナリオの代理人である大谷晃に対しその導入を要請し、大谷は、ノルテ州政府から提示された入植条件やプナウ植民地の調査結果を記載したプナウ植民地募集要項を外務省に送付するとともに、移住者の募集送出を依頼し、海協連は、当時の我国の移住業務体制に従い、農林省が、大谷の報告書や同省独自の調査結果などに基づいて作成した募集要領案と同一内容の本件募集要領書を作成してこれを配布することにより、国内の移住希望者に対し、ノルテ州政府がプナウ植民地入植者を募集していること、及びその入植条件、入植資格、選考手続などを知らせ、移住申込者のうち、ノルテ州政府の要求する入植資格を有すると判断した者を選考して、これに合格通知書を発行するとともに、ブラジル領事の査証を得られるように種々の援助を与え、査証の得られた原告ら移住者に対し、渡航費を貸付けるとともに、ブラジルの上陸港まで移住者を引率したにすぎないものであり、海協連が自らプナウ植民地を開設して原告らを入植させたものでもなければ、プナウ植民地移住者に対し、海協連が本件募集要領書に記載されたような土地を払下げる旨の意思表示をしたものでもない。

原告ら入植者に対し本件募集要領書に記載された土地払下などの入植条件を履行すべき債務を負うのはノルテ州政府であり、しかもノルテ州政府は原告ら入植者がプナウ植民地に入植することによって当然に右債務を負うに至るものと解せられるのであるから、原告ら入植後、ノルテ州政府と原告らとの間に改めて本件募集要領書に記載された内容の入植契約を締結する必要はないものといわねばならぬ。

従って、海協連が虚偽の募集要領書を作成配布して、移住者を募集し、移住希望者をしてプナウ植民地が農業適地であると誤信させて入植させた場合、入植者に対し不法行為の責任を負うことのあるは格別、右のとおり単に原告らのプナウ植民地移住を斡旋したにすぎない海協連は、自らが入植者に対し、本件募集要領書に記載されたような農業適地を払下げるべき債務を負うものでないことはもちろんのこと、その旨の特別の意思表示のない限り、もしプナウ植民地が本件募集要領書の記載に反し、排水や土壌について悪条件の土地であった場合、自らの負担で、排水工事、土壌改良や灌漑を施し、よって本件募集要領書に記載されたような農業適地に改良すべき債務を負うものではない。まして、原告ら入植者が海協連に対し、プナウ植民地に入植して営農を続けるべき債務を負ったなどとは到底解せられない。

確かに、日本国民の海外移住というものは、日本国民の活動の場を広く海外諸国に広め、現地に融和するとともに、日本国民の先進的農業技術と持前の勤勉さをもって諸外国の発展に貢献し、ひいては日本国民の声価を世界に高めるという日本の国策に合致しており、さればこそ、前二の1、2で認定したとおり、日本国政府も海外移住斡旋を自らの政策としてその体制を整えていることは容易に看取することができ、また≪証拠省略≫により明らかなとおり、海協連も海外移住の啓蒙、宣伝を通じ、積極的に日本国民の海外移住を推進してきたのであるが、このような事実を考慮しても、なお、海協連が本件募集要領書を配布して移住者を募集し、原告らに対し合格通知書を発行したことにより、直ちに海協連が原告ら主張のような債務を負うに至ったと解することは困難であり、他に原告らの主張を肯認することのできる証拠はない。

よって、原告らのその他の主張事実につき判断するまでもなく、原告らの債務不履行の主張は理由がない。

三  (不法行為の主張に対する判断)

原告らは、海協連の職務代行者である大谷晃は、事前調査により、プナウ植民地が難民救済事業のための対策入植地として開設されたものであること、プナウ植民地が低湿地帯であること、及び請求原因五の2で主張したような悪条件の土地であることを知りながら、同人が作成して外務省に送付した調査資料にこれらを秘して記載しなかったため、これを資料として作成された本件募集要領書に右悪条件などが掲載されず、原告らはこれを検討してプナウ植民地が農業適地であると誤信して移住を決意し、右悪条件のプナウ植民地に入植し、営農失敗を余儀なくされたものであるから、海協連は、海協連の職務代行者である大谷の右不法行為について民法四四条一項により責任を負うべきであると主張する。

よって按ずるに、海外移住を希望する者にとって直接海外の植民地に臨んで現地の状況を確認し、それが農業に適するか否かを判断することは非常に困難であり、従って植民地の現状や入植条件などを知らせる募集要領書は移住者にとって現地の状況などを知る唯一の手がかりともいうべきものであるから、募集要領書には、植民地の現状など、移住希望者が移住の可否を判断するに不可欠である重要な事実がありのまま正確に記載されることが絶対に必要である。そして前二の2、3で認定したとおり、大谷作成の調査資料は農林省が募集要領案を決定するにつき、その資料となることが当然予定されていたものであるから、大谷が外務省に送付する調査資料(本件の場合、乙第二号証の三のプナウ植民地移住者募集要領である)を作成するにあたり、故意または過失により原告ら主張の悪条件を秘して記載せず、これがために不実の募集要領書が作成され、原告らをしてプナウ植民地が農業適地であると誤信させて入植させた場合、大谷の右行為は不法行為を構成することは当然である。

しかしながら、原告は大谷晃が海協連の職務代行者であるとして民法四四条一項により大谷の不法行為をもって海協連自身の不法行為であると主張する。この職務代行者とは、いかなる地位を指称するのか明確ではないが、民法四四条一項の適用を主張していることからみて、同項の「理事その他の代理人」を意味しているものと解さざるを得ない。しかし、右の理事その他の代理人とは法人の代表機関のみを意味すると解すべきところ、前二の3の(三)で認定したとおり、大谷は海協連リオデジャネイロ支部長の地位についてはいたけれども、大谷が、プナウ植民地移住者募集要項を作成した当時、海協連の代表者であったことを認めることのできる証拠は何もない。

よってこの点において、すでに原告らの不法行為の主張は失当である。

また、以下において、大谷晃が外務省に送付した調査資料を作成するにつき、原告ら主張の悪条件のあることを知りながら故意にこれに記載しなかった旨の主張について判断してみる。

まず原告らは、大谷晃はプナウ植民地が難民救済事業のための対策入植地として開設されたものであることを知りながらこれを調査資料に記載しなかったと主張する。

しかし、≪証拠省略≫によれば、ノルテ州政府の計画した難民救済事業というのは、プナウ植民地の排水工事に、かんばつによる避難民二〇〇人を人夫として使用するというだけのことであり、また難民の対策入植地というのは、右排水工事終了後の難民を、プナウ植民地の川下にある五〇〇ヘクタールの低地に入植させるということであり、プナウ植民地が難民対策の入植地として開設されたものでもなければ、原告ら入植者が難民として扱われたものでもないことが認められ、この認定を排し、プナウ植民地が難民救済事業のためその対策入植地として開設されたものであることを認めることのできる証拠はない。そして右認定した事実の如きは、募集要領書に記載する必要のないものであることは論をまたない。

次に原告らは、大谷晃はプナウ植民地が低湿地帯であることを知っていたにも拘らず、これを調査資料に記載しなかったと主張する。

しかし、大谷が外務省に送付したプナウ植民地募集要項には、その自然的条件の(3)において、「地形は高地(起伏緩慢)に囲まれた低湿地(平坦)である。」と、プナウ植民地の低地が低湿地帯であることを明記しているのである。本件募集要領書にプナウ植民地が低湿地帯であることが掲載されなかったのは、前二の3の(六)において認定したとおり、秋山英次が募集要領案を作成するにあたり、地形などの自然的条件については、全て杉頴夫作成の調査報告書の記載をそのまま引用したからにほかならない。そしてこれについて大谷に何の責任も無いことは論をまたない。

また、原告らは、大谷晃はプナウ植民地に請求原因五の2で主張したような悪条件の存在することを知りながら、これを調査資料に記載しなかったと主張する。

しかしながら、プナウ植民地に原告ら主張の悪条件があるか否かの判断はさておき、本件全証拠を仔細に検討するも、大谷晃が原告ら主張の悪条件の存在を知っていたと認めることのできる証拠は皆無である。

かえって、≪証拠省略≫によれば、大谷は、農業技師であり、ビウン連邦植民地所長であるアントニオ・コエリヨ・マルタやビウン連邦植民地の入植者である中野喜一の説明、前記プナウ植民地設立計画書や近傍の実例からして、プナウ植民地の土壌は、前二の3の(一)で認定したとおり、日本人移住者が入植して低湿地帯を合理的に開発利用して好成績を上げ、プナウ植民地開設のきっかけにもなったピウン連邦植民地の土壌と同一であり、低地は果樹や米作に、高地はココヤシ、カジユー、マンジョカの栽培や小家畜の飼育にそれぞれ適しており、またノルテ州政府が、フオンセッカ川の浚渫や幹線支線の排水路の整備を行ったので、低地の排水について憂慮することはないと判断して、プナウ植民地もビウン植民地のように成功すると確信し、プナウ植民地募集要項に、自己の判断に忠実に、いささかも誇張することなく、「低地の土壌は酸性五、六度の腐植土で農業適地であり、高地は酸性砂礫土で農耕価値は劣るが、特殊果樹の栽培、小家畜及び住宅用地に当てる。」「風水害のない。」と記載したことが認められるのである。

よって右の点においても、原告らの不法行為の主張は失当である。

最後に、原告らは、被告事業団の職務代行者大谷晃、同竹野家茂、同大橋正義の昭和三四年四月一八日、同三九年七月中旬頃、同年一〇月四日の各言動をもって、原告らに対する送還拒否の不法行為を構成する旨主張するので按ずるに、原告ら主張の前記各被告職務代行者の発言は、まだこれをもって不法行為を構成するものとは解し難く、むしろ右各発言は右各職務代行者の送還要求に対する単なる債務不履行を構成するにすぎないものと解するのを相当とする。而して右債務不履行は、原告らの移住契約解除による原状回復義務の存在を前提とするところ、右契約解除はその効力を発生するに由ないこと前記認定のとおりであるから、結局原告らの右債務不履行の主張は理由がない。そして、仮に右各職務代行者の発言が不法行為を構成するものとしても、大谷晃の地位については前記認定のとおりであり、証人竹野家茂の証言によれば、竹野家茂は当時被告事業団のレシーフェ支部長であったこと、証人大橋正義の証言によれば、大橋正義は、当時被告事業団の現地業務部責任者であったことが認められるが、同人らにつき、右地位以上に当時被告事業団の代表機関であったことを認める証拠はないから、結局右三名の行為をもって民法四四条一項に基づく被告の不法行為上の責任を追及することは理由がないものといわねばならぬ。

よって、右の点においても、原告らの不法行為の主張は失当である。

なお、≪証拠省略≫によれば、原告らは昭和三八年三月頃から海協連又は被告事業団に対し日本への送還を要求し、その後各方面に働きかけた結果、結局外務省領事館を通じ、昭和四〇年八月国援法の適用をうけて帰国したものである。

(同月原告らが国援法の適用をうけて昭和四〇年八月帰国したことは、当事者間に争いがない。)

原告らは、昭和三八年三月中旬における前記大橋正義の、同年八月頃及び昭和三九年五月一八日晩の被告職員前川和久の、昭和三八年八月下旬頃の元被告職員中野喜一の各発言をもって、原告らの本件慰藉料請求の原因として主張するのか否か必ずしも明らかでないが、仮に主張するとしても、中野喜一が当時すでに元海協連職員であったことは原告らの自認するところであり、証人大橋正義の証言によれば、大橋正義は当時海協連レシーフェ支部の単なる職員であったこと、証人前川和久の証言によれば、前川和久は当時被告事業団の単なる職員であって、昭和四六年当時は被告事業団のレシーフェ支部サルバドール事務所代表者であったことが認められ、右以上に同人らが当時海協連または被告事業団の代表機関であったことを認めるべき証拠はないから、前記同様右三名の行為をもって、民法四四条一項に基づき被告事業団に対し不法行為上の責任を求めることは、理由がないものといわねばならぬ。

四  以上のとおり、原告らの本件請求は、その余の事実について判断するまでもなく理由のないことが明らかであるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中島恒 裁判官 平田浩 裁判官 佐藤修市)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例